推しと洋服と私。

オタクのひとりごと。

いつになれば。

ちょっと気持ちがまとまらないので、ここに吐き出そうと思います。

あとこの気持ちは忘れたくないし、誰かにこんな思いもしてほしくないし、させたくないので備忘録として書いておく。



あと4日後、1/10には私は名古屋に飛んでいる予定だった。

はじめて関西Jr.、はじめてAぇ! groupに会える。

そう思って1ヶ月間を過ごしてきた。

なにより自分の地元での公演。

情報局に入って4年近く、はじめての当選だった。

そして、2年以上ぶりの現場。

はじめて会うフォロワー。

何もかもが楽しみで、何を着ていこう?ネイルはどうしよう?髪色はどうしよう?そんなことばかり毎日考えていた。

(あと計算したけど、飛行機、ホテル、参戦服、ネイル、美容室、お土産代などもろもろ10万以上使ってた。こわっ)


不穏な空気が漂い始めたのは12月中旬。

米軍基地でのクラスター。

基地がない人には想像つかないと思うが、塀の中アメリカだ。

だから何人、という情報しかなく、その人たちがどのように生活し、どのように私たちと関わっているのかはわからない。


そして年末には変異株の市中感染、年が明け米軍関連で300人近く感染、そして3日には120人、225人、600人、980人と、今まで見たことのないスピードで広がった。


でも目の前にいるのは昼から缶チューハイ片手に騒いだり、マスクなしで集団ではしゃぐ観光客。

(もちろんしっかりマスクをしている観光客もいる。)


なんで?どうして?という言葉しか頭に浮かばなかった。



現実は受け入れ難いが、私はあんなに行きたかったあけおめのチケットを手放した。

というか、帰省する予定も全て手放した。

あけおめにいけないのはもちろんのこと、数年ぶりに会う予定の親にさえ会えないのだ。

ずっと昨日は泣いてたし、今日も母親に電話でコロナに対する暴言を吐きながら泣き喚いていた。

いつになれば私は、家族に、友達に、推しに会えるのか。

楽しみにしていた時間と、ワクワクしながらあけおめのためにと思い使ったお金は戻ってこない。


こんな状態だし仕方ないよね。

わかってる。

それは最悪だね。

わかってる。

沖縄大変だね。

わかってる。


どれもこれも私が1番わかってる。

だって私は当事者だから。

それはしんどいね〜、なんて軽くあしらわれるように言われるのが正直1番しんどい。

だってあなたはしんどくないじゃん!

しんどいのは私だよ!?

って、心が薄汚れてるから思っちゃう。

もちろんその人なりの気遣いだってことは

わかってるんだけどね。

気遣いの言葉選びって難しいよね。


現状、ここ数日、職場では毎日スタッフが誰かしらPCR検査を受けている状態です。

毎日誰かが濃厚接触になって、欠員が出ています。

ただの販売員の私でさえ、その対応に追われてまともに通常業務ができない状態になっています。

目の前にはマスクをしないお客様も来ます。

そのお客様にも真摯に対応しています。

もちろんまだ観光客だってきます。

色んな気持ちを抑えて笑顔で接客しています。

毎日いつかかるかもと思いながら生活しています。



これでもチケットを手放したのは、私の意思なんでしょうか?

こんな状態で、行くことを選べる人がいるんでしょうか?

「チケットを手放したのは、自分で選んだこと」

って言う人がいるけど、

本当にみんなそうでしょうか??

みんなみんな頑張って、張り裂けそうな思いでチケット手放したと思うよ。


応募すら出来なかった人もいるでしょう。

今回当たってても来れなかった人もいるでしょう。

そう言う時にかける言葉には想像力が必要だよなーって思う。

少なくとも私は今回そう思ったので、もし次に何かあった時、誰かに言葉をかけるなら今回のことを思い出すと思う。

そしてぜったいにまず「がんばったね。」って声をかけてあげたい。

そしたら素直に私は頑張ってチケット手放した。本当は嫌だった。しんどかったって言えるから。

オタク同士、優しくいられるといいな。

まあ私の大好きなフォロワーたちに関しては大丈夫なんだけど。




何を言ったって現実はどうにもならない。

でも、わかっててほしい。

これは、「沖縄にいるから」ではなく、

もうすぐみんなの身近にも起こりうることだっていうこと。


お願いだから、会場でフェイスシールドが配られるのであればしっかりしてほしい。

マスクも手洗いうがいも、してると思うけど今まで以上に徹底してほしい。

「私に限って大丈夫」じゃないので。

「私はうつらないよ!」じゃなくて、「私がうつしてしまうかも」のマインドでいてほしい。

オタクたち、頼むから感染対策はしっかりね。


さて、長々書いてきたけど、もうコロナはそこまで迫ってきていて、さながらゾンビ映画みたいに、周りがどんどん感染していくなか、取り残されていく主人公の気分ですが、とにかく言いたいのは、気遣いの言葉って一言で言っても難しいよね、ってことと、みんなゾンビにならないように気をつけてねっていうこと。


わたしは今心が荒んでいるから、心から「楽しんできてね!フォロワーたち!」なんて言えないけど、いつかコロナが落ち着いて、みんなに、Aぇに会える日が来たら、私が行けなかった2022年1月10日のことを教えてください。


それではみんな、「いってらっしゃい!」

推しが今日も生きていてくれるだけで。

今日は何の日か。

 

そう、私の推し、末澤誠也の27回目の誕生日である。

 

ちょうど1年前の今日、私は末澤さんのことを好きになった。

メンバーに舞台上で祝われている姿は誰よりもキラキラしていたし、

私が理想としているアイドル像ど真ん中だった。

 

今までセンターにいる、メンカラが赤の人なんて好きになったことなかった。

いつも端にいて、ひたすら踊っているような人が好きだった。

センターにいる彼はその必死さも持っていたし、

センター独特の華やかさ、人目を惹きつける魅力を持っていた。

 

私は家族も友達もいない異郷の地で仕事をしている。

それは結構孤独な戦いで、何かの支えがないとすぐにバランスが崩れてしまう。

特にこの2年、コロナの影響でしんどいことが多かった。

ライブは中止、現場もない、家族にも友達にも会えない。

そんな中で、出会ったのがAぇ!groupだった。

 

728の日にまだこんな子たちがJr.にいたんか!?とびっくりした。

Aぇ!groupは知ってはいたけど、手は出せずにいたコンテンツ。

これを機に見てみようとすぐにドリアイの見れる日程を全て購入した。

「〜しそうですねん?!」で聞いたまだまだ未完成のBreak  Throughで完全にAぇ!groupというグループに落ちた。

後ろ指差すならお好きにどうぞ。

私がAぇ担になってからずっと心に留めている言葉。

 

そんなこんなでやってきた運命の8月24日。

この日までは推すならもともとWESTさんのライブなどで知っていた大晴か、

正門くんかな〜?なんて思っていた。

ところがどっこい

真ん中でキラキラしながらもどこか必死で、

でもそれを余裕に見せようとする

魅力しかない末澤誠也と出会ってしまった。

 

そこからの人生、QOL爆上がり。

何より、誠也だけじゃなくてすべてのメンバーを好きになれたことが大きかった。

ちょっとしたことですぐに冷めてしまう私にとってすごく大きく、

こんなにハマった理由の一つになっていると思う。

 

何より私が誠也に感謝したいのは、

誠也を好きになったからこそ

大好きなフォロワーたちと出会えたこと。

人付き合いもSNSも苦手な私は

アカウントを作って満足しているタイプだった。

けど、今のこぶちゃまるとしてのアカウントは、

家みたいな安心感と、

アットホームな雰囲気、

いつも私に絡んでくれて、

時には心配してくれる

あったかいフォロワーがいる。


それが何よりもAぇを好きになってよかったと思う理由だ。

Aぇの人柄と同様、Aぇ担もあったかい人たちばっかりだし、

面白くて、優しくて、最高に個性的だ。

 

気づいたらフォロワーへの想いみたいになってる。。。。。

 

Aぇと、末澤誠也には本当に感謝してもしきれない。

コロナ禍に仕事のストレスが重なった時だって

生きていられたのは紛れもなくAぇとAぇ担がいてくれたから。

 

だからAぇさんには、末澤誠也には一生幸せでいてほしい。

誠也が生きているって事実だけで私も生きていられるんだから

なかなか誠也は重要な役割を担ってると思うよ。

 

欲を言えば、そろそろ本当にAぇもAぇ担も実在しているのか確かめたい。

現場がほしいし、目の前の推しに思いっきり声を出して

あなたを好きな人がここにいるよって伝えたい。

そして何よりも推しの努力が報われた瞬間を見たいし、

推しの嬉し泣きが見たい。

 

そのためには私は明日も生きていきます。

 

 

 

まって、めちゃくちゃ激重な内容になってしまったけど、

結局伝えたいことはただ一つ。

 

 

末澤誠也!あなたが生きていてくれるだけで、生きていける人がいます。

本当に感謝しています!

 

27歳という一年があなたの人生の中で輝かしい1年になりますように。

そして願わくはその輝きの一端を担えますように。

 



末澤誠也さん誕生日おめでとう! 

永遠なんてないけど。

仕事の休憩中、Twitterで推しの情報や、フォロワーさんのツイートをみるのがルーティン。

今日も同じようにTwitterを開くと、トレンドには想像もしなかった、思ったこともなかった、なんなら一番無縁だと思っていた2文字が推しのグループの名前と並んでいた。

たった4文字。

だけどその4文字だけで、なにを言わんとしているのか分かってしまって、急に怖くなった。

 

【V6解散】

 

いままで応援していた中で、そんな話が週刊誌や噂なんかで流れたこともあった。

だけど何故か、今回のトレンド入りは只事ではない気がして、でも見ないといけない気がしてすぐにその文字をタップした。

 

トップに出てきたのは週刊誌系の記事。

「またこういうネタね。」

って一瞬思ったけど、でも嫌な予感がしてさらにスクロールすると急に現実味を帯びてきた。

「え?本当に?」

もうこの時点で食べてるものの味なんてしないし、足は震えていた。

絶賛大喧嘩中の坂本担の母親にLINEを入れるが落ち着かない。

Twitterに書き殴るけど落ち着かない。

なんで?どうして?どういう経緯で?

その疑問しか思い浮かばず、早々に昼食を終え、店に戻った。

 

本人たちの言葉を見てしまったら、時が止まったみたいになって、現実を受け入れざるをえなくなった。

たくさん話し合ったこと。それぞれが一人の男として決断したこと。その決断は前向きなものであること。なにより、6人でなければV6ではないこと。

そんなことを言われてしまったら私たちファンはどうすることもできない。

だけど、その思い描く未来はV6ではできなかったことなのだろうか?

ライブがオリンピック周期になったっていい。

新曲も2年に1度でいい。

今以上なんてなにも望まないから、6人がV6で居続けることはできなかったのだろうか?

どうにかV6という名前を残すことはできなかったのだろうか?

そんなことを考えてしまう。

 

でも、剛くんが、誰かが抜けてしまったまま活動を続けるV6の方がもっと想像がつかなくて、きっとこれが6人の出した最善なんだろうことも容易に想像がつく。

6人じゃないなら、6人のV6を永遠にするためにいっそのことなくしてしまえ。

そんなメンヘラチックな思想すら感じてしまうこの決断が、こんな時まで私が好きになったV6そのものでめちゃくちゃに好きが増してしまった。

 

最近は個々の活動が多く、それぞれが舞台やドラマ、映画やバラエティなどで活躍していたが、必ずそこにはV6があった。

今年の11月2日になったら、それがなくなってしまう想像は未だにつかないし、今はまだ想像すらしたくない。

けどカウントダウンは始まってしまったのだ。

はっきり言うとどうやっても悔いは残る。

けど、その日はやってくるし、きっと撤回されることなんてないのだろう。

オタクの幻想って言われたらそれまでだが、6人のことを一番好きなのは6人だ。

メンバーがいたから乗り越えられてきたことも多かったはずだ。

その決断はきっと6人でいたいからこその決断だと私は思っている。

 

もう泣きながら書いてるからなにを言いたいのかわからなくなってきた。

まとめるとV6って最高だよねっていう話だ。

 

私自身の話をすると、V6のことを好きになったのは3歳の頃らしい。

まっっっっっったく覚えていないが、剛くんがテレビに映るとテレビに張り付いて離れなかったらしい。

当時絶賛ビジュいかつい期の森田剛にベタ惚れだった3歳の私、本当に見る目あるね。

25歳になった私も、いかついビジュだけど小ちゃい男が自担です。

その後も成長するにつれて記憶が濃くなっていくのだが、物心ついた時からどの年齢のときもV6は身近だった。

主に学校へ行こうだろう。

自分の学校にも未成年の主張はくると思っていたし、街を歩いていたらどこいくんですか?って声をかけられると思っていた。

将来はギャルになって剛健にはたかれるのが夢だった。

学校へ行けばリズム4や愛してるゲームをしていたし、ミヤケンコはいつだって可愛かった。

 

はっきり私がV6に落ちたのは忘れもしない11歳の夏だった。

嵐が好きな友達に付き合って木更津キャッツアイを見て、漠然とぶっさん好きだな〜なんて思っていた。今思えばぶっさんはマジで私の好みど真ん中だ。

そんなぶっさんが岡田准一だと知って、V6に興味を持ち始めた。

今だったらスマホSNSも発達しているから困ることはないが、当時の自分は使いすぎで制限をかけられてしまったケータイしか武器がなかったのだ(自業自得)

その当時YouTubeがまだ海外のサーバーというイメージだった頃。

家のPCで動画サイトに落ちていた画質の荒いDarlingのPVを見て、この人だ!と一目見てビビッときた。

人生初めての一目惚れだったと思う。(もともと気になってはいたが)

この後10数年、私は何度とこの感覚を味わうが、初めて味わったこのときの感覚は一生忘れられないと思う。

その後、おばあちゃんからもらったお小遣いを握りしめ、私はすぐに郵便局へ向かい、FCに入会。誰にも言わず、誰の許可も取らず、勝手に。

当時から思ったら即行動。我慢ができない性格だったのが容易に想像できる。

事後報告でFC入会を母に告げ、さらにライブに応募したことも告げた。

完全に怒られると思ったが、勝手に行動したことに対して少し注意を受けた程度で、拍子抜けしたことを覚えている。

そして2007年10月、初めて生で見た芸能人はV6だった。

母と入ることを条件に初めての現場。

白い衣装で光の中から登場した光景はいまでも鮮明に覚えている。

その後、母も実は坂本昌行がターザンの主題歌を担当した頃からずっと好きだったことが判明。母もFCに入会することになる。

 

そこからは母の激強名義が本領発揮し、応募した舞台やライブを落としたことがなかった。(なにより親の財力ってすごいよね。)

一番記憶に残っているのは意外なことに舞台で、中でもAll Shook Upは未だに再々演を熱望しているほど好きな舞台だ。

架空の親戚を危篤にして学校3日間休んで青山劇場に遠征したのはいまでも意味がわからない。おかん、ほんまにええんか?

ブラバにも遠征したし、2年後の再演ももちろん多ステした。

本当に大好きな舞台すぎるのでこれはぜひAぇ! groupの佐野晶哉に主演してもらいたい。なんなら私が主催する。

あと、いままで生きてきてこんなに泣いたことあるか?ってくらい泣いた舞台が『IZO』だ。

幕末の歴史好きも相まってめちゃくちゃに泣いた。DVDみても同じ熱量で泣けるの本当にすごいと思う。それから新感線には信頼感しかないので本当に文ちゃんの舞台はみたかった・・・・・・・

 

最後に生でV6をみたのは2017年のThe ONESコン。

この頃私はエイトにガッツリはまっていたし、母親の付き添い、くらいな気持ちで現場に入ったが、全くそんなこと忘れるくらいには興奮したのを覚えている。

本当にこんな歌って踊るおっさんいんのかよ。サイボーグ?

なんなら好きになった頃より色気がだだ漏れでしんどい。

かっこいいとかじゃ表せない複雑な気持ちになった。

職場の上司と不倫しちゃう新入社員の気持ちがわかる気がする。

おっさんってすごい色気放ってるよね。

20年経ってもこんな仲良くできるおっちゃんたちいないと思う。

年々岡田の博イジリは激しさを増してるし、博の仏に磨きがかかってる。

健ちゃんは若返ってると思うんだけど何の生き血吸ってんの?

イノ剛健はいつまで経っても悪ガキ。

まあくんは本当に50手前なの?ってくらいスタイルおばけ。

 

V6の好きなところは挙げたらキリがないけど、一番は仲のよさだと思う。

きっと生半可な気持ちのメンバーが一人でもいたらこんな長く続いてない。

本気で向き合ってきたからこその仲のよさだと思う。

お互いの個性ややりたいことを尊重しながら、お互いの距離感でやってきたからこその関係性なのだろう。

V6の活動スタイルがアベンジャーズって言われてて妙に納得した。

もちろん楽曲も、年齢なんて全く感じさせないダンスも好きだし、個性的な歌声が溶け合う歌も、クリエイティブな映像も、バラエティ力の高さも、坂本昌行の最年長だからアホみたいに怖がられてたのにここ数年になってめちゃくちゃにイジられるところも、長野博の本当に仏みたいな顔してたまにえぐい一言ぶつけるところも、井ノ原快彦のいつもちょけててお調子者なおっさんなのにいざというときに一番決めてくるのも、森田剛の強面と思わせておいて本当は笑い声が独特で6人でいるといっつも笑ってるところも、三宅健の天真爛漫な自由奔放な感じなのに、握手会で手話がわからなかったことをきっかけに学んでいまでは手話の番組に出演するまでになった努力家なところも、岡田准一のアカデミー俳優でゴリゴリなアクション俳優のイメージなのにメンバーの前では末っ子爆発させるところも、ライブで健ちゃんの投げチューが終わりの合図なのも、アンコールが「もう一回」コールで「森田?」って空耳するお決まりの流れも全部大好きだ。(ここまで一息)

 

最後にV6を見てからもう3年以上が経過してしまった。

私とV6は生まれ年が同じだからメモリアルな年には必ずV6も同じだけ年を重ねている。

コロナで会えなかった25周年という大事なメモリアルイヤー。

次は30周年か。いや、私30になんのやべえな。なんて呑気に思っていた。

もしかしたらもう会えなくなるなんて思っていなかった。

もっとしっかり追っておけば、なんて今更遅い。

これを書いてるいまだってなんで?本当に?って気持ちは消えない。

 

永遠なんてない。

 

これはエイトを追っていた私なら痛いほどわかっていたはずのこと。

形は違えどこういう事態は初めてではないはずなのに。

彼らに限ってそれは絶対にないと思い込んでいた。

そう思いたかったんだと思う。

だって彼らは永遠に一番近い存在だったから。

天国でもMFTP踊るんじゃねえのかよ。

でも永遠なんてやっぱりないんだよな。

そもそも6人が出会ってくれたことが奇跡だし、25年も一緒にいてくれたことが大きな奇跡。

私の初めての自担よ、中学3年で枚方から東京に出てきてくれてありがとう。

(今思えば私の自担、1人を除いて関西人でした。)

 

彼らに出会えたから出会えた人がたくさんいる。

V6を好きになってなかったらもしかするとジャニーズに出会うことはなかったかもしれない。

エイトにはまることもなかったはずだ。

エイトにはまってなかったら出会ってなかった大切な友達もいる。

その友達に出会えていなかったらWESTにはまることはなかったし、

WESTにはまってなかったら関西Jr.にはまることもなかったはずだ。

関西Jr.にはまっていなかったらSnow Manにハマることも、Aぇ! groupにハマることもなかっただろうし、なにより今のアカウントの大好きなフォロワーたちには出会ってない。

なにかの歯車が狂ってたら、いまの推しを好きになることもなかったかもしれない。

 

V6には感謝の気持ちと、大きな愛しかない。

しんどいときにはいつもジャニーズがそばにあった。

大げさかもしれないが、V6に出会ってなければ乗り越えられなかった壁もあった。

受験勉強を必死でがんばっていたときのお供はいつだってV6の曲だった。

恋をしたときも、恋が終わったときもV6を聞いて物思いに耽っていたし、

母親と喧嘩したときもつないでくれたのは大概V6の話題だった。(今がそう。)

 

永遠なんてないかもしれないけど、V6は確実に私の未来につながっていく。

だからその日がきても私はV6を好きで居続ける。

 

コロナの中でジャニオタの私が思うこと。


 

今日はAぇ!groupのオリ劇当落でしたね。

もちろん外れました。

 

さて、8ヶ月前の今日、何の日だったか覚えていますか?

2月21日。スノ担さんなら覚えている方もいらっしゃるかもしれませんね。

 

そう、Snow Man ASIA TOUR 2D.2D.の当落日でした。

その日から8ヶ月も経ってしまいましたね。

私はありがたいことに第一希望の日程で当選していて、

友達に即連絡。メールを受け取った5分後には入金完了していました。

その日はめちゃくちゃニコニコしながら働いていて、

上司からもアルバイトさんからも、

こぶさん楽しそうでなにより。なんて言われていました。

 

それから約1ヶ月後。

3月17日には公演の中止が発表されました。

それに合わせるようにUPされた『終わらないMemories』

泣きながら見た記憶があります。

頭ではわかっています。

どんどん酷くなるコロナの状況。

行って罹らない保証なんてない。

私が会社で、さらに言えば県内で第一号になってしまったら?

手放しに行きたいなんて言えない状況でした。

でもどうしても心が追いつかない。

やっと会えるって思った。好きになって1年近く。

初めてSnow Manに会えるって思ったのに。

自分の名義で当てたのに。

なにより彼らにとって大事なデビュー公演なのに。

ジャニーズを応援していて初めて感じた大きなショックでした。

 

そして、緊急事態宣言の発出。

自粛生活の中で諦めもつき、孤独な自粛生活の支えはやっぱりジャニーズでした。

 

そしてwithコロナの生活で配信ライブなどにも慣れてきた8月。

振替公演のお知らせ。

正直私には考えられなくて、事務所の方針が理解できませんでした。

これを言うと身バレしそうですが、

私の住んでいる県では緊急事態宣言解除後の観光客の増加で爆発的に患者が急増。

長い期間独自の緊急事態宣言が出されていました。

私自身、知り合いも感染したり、他のテナントで感染者が出るなどコロナが身近に迫っている状況。

こんな状態で?東京だって感染者は増え続けているのに?

なにより、クラスターが発生などした時にメディアに責められるのはタレント本人です。

そんな状況を考えたら耐えられませんでした。

けど、都内や都会に住む友人は、私の考えとは真逆の考え。

嬉しい、行きたい、かかったらかかった時。

あー、これが地方と都会の差なのかな?と思ったりして、

誰とも関われない生活の中で自分の考えさえも狭くなっていました。

個人的にもありもしない噂話を流されて辛い時期だったこともあり、荒んでました笑

そんなみんながみんな肯定派ってわけじゃないし、きっと同じ思いを持った人もいたはずなのにね。

これがコロナの怖いところだと思ってます。

 

でも振替公演を喜んでるメンバーを見てると、なにも言えなくなっちゃうんですよね。

だって本人も辛いだろうし。いっぱいファンのことも考えてくれただろうし。

 

けど、いけない人もいる。状況的にも、職業的にも、きっとコロナ禍で経済的にも。

そんな人はたくさんいて、私だけじゃないんだって思えたことで、少し心が落ち着いたことも覚えています。

 

そして8月20日。全公演の中止、配信ライブへの切り替えが発表されました。

振替公演の発表から中止発表まで2週間。

正直その状況は読めたのでは?と思いますが、

最後まであきらめずに開催する術を模索してくれた事務所には

やはり感謝の思いも同時にあります。(今振り返れば、だけど。)

 

今、コロナの中で思うのは、

やはりエンタメの力って偉大だなということ。

あんなに落ち込んでたのに、配信してくれるってだけでワクワクの気持ちがでてくるから。

ジャニーズ以外のなにかしらのオタクの人だってきっとその力の大きさは実感しただろうなって思います。

やっぱり現場が一番だけどね。

その時が来るまでは、自名義の運貯めておきます。

 

 

さあ、明日からやっと、やっと待ちに待ったSnow Manのデビューライブが始まります。

全9公演。何事もなく無事完走できますように。

たくさんの悔しい思いをしたスノ担さんが楽しめますように。

そしてなにより、一番悔しい思いをしたであろうメンバーが一番楽しめますように。

私は2.3日目が休みなので、全5公演楽しみたいと思います。

 

書いてていろいろ思い出して泣きそうになってきた笑

 

とにかく私はジャニーズの

Show must go on

の精神が大好きです。

 

 

 

スノ担さんだけじゃなくて、悔しい思い、やるせない思いをしたすべてのジャニオタさんがいつか落ち着いた時、それぞれの現場で笑っていられますように。

マネキンは私の推し。

タイトルからして気持ち悪い。

 

そう思った方、正解です。

 

アパレル店員である私が、普段からやっている楽しく仕事をする方法なのですが、正味気持ち悪いです。笑

 

私の働くブランドはメンズも取り扱っているブランド。

そして私はメンズの売り場を担当しております。

なので普段からメンズのお洋服を触る機会が多いのですが、

そんな時、オタクならこう思うはずです。

 

これ、◯◯くんに似合いそう❤️

 

と。(偏見)

私は少なくとも思うんですが、、、

 

3年目でお店の2番手として好きに売り場を作らせてもらっているんですが、これが楽しいのなんのって・・・!

 

基本的には本部からの指示で売り場を作ります。

しかしその指示がない箇所は必ず存在します。

そこが楽しむポイントです。

 

基本的には売り場を作る時、

一つのブロックを誰かのクローゼットだと思って作っていて、

世界観などを大切にしているんですが、

そこで役に立つのが、もう分かりますよね。

そうです、私の推しです。

 

 

今日も売り場を作り込んで来たんですが、

今日はAぇ!groupのこじけんをイメージしたマネキンを作りました。

うちのブランドのマネキンは身長が180近くあるので

イメージするとなると大きいメンバーになります。

 

というわけで、私のお店のメンバーを紹介します。

まずはこいつ、

店頭から一番目立つテーブルのマネキン!

目黒蓮向井康二めめこじ!!!

めめにはチェックのセットアップ、こーじにはサロペットを着せています。

 

 

つぎはこいつ!店舗に入って一番最初に目につくマネキン!

佐野晶哉!

まさやにはストライプのシャツを着せています。かわいい。

 

 

そしてまさやの隣にはこいつ!

小瀧望

のんちゃんにはデニムのシャツにチノパンというおっさんになりがちなシンプルなアイテムを着せています。でものんちゃんだから着こなしてるはず。(※マネキンです。)

 

 

そして最後はお店の一番奥から店内を見渡すマネキン!

島健

こじけんにはハイネックのインナーにペイズリーのビッグシルエットのシャツ、そしてビッグシルエットのトレンチコートを全部チャコールグレーでまとめたコーデを着せています。

ペイズリーのシャツを見た瞬間これはこじけん似合いそう!って思ったので、このマネキンはこじけんになりました。

 

 

これで売り場を作るようになってから、社内外から売り場を褒められることが増えました笑

 

どうやって作ってる?と聞かれることも多いんですが、さすがに上司の上司に

「あ、ジャニーズ参考にしてます❤️」なんて答えられるはずもなく(絶対怒られる。)「データとお客様の動向をもとに・・・」って答えてるんですが、

実際データとお客様の動向だけでは売り場って作りづらくて、なにかイメージや世界観があるものの方が作りやすいです。

 

それが私の中で推しだったってだけの話なんですけど、言ったら引かれるので会社の人には言ってません😌

はー言えてすっきりした!笑

 

 

マネキンさんは洋服や売り場の雰囲気によってイメージするメンバーを変えてます。

この前まではめめじゃなくて大晴とこーじだったし、

こじけんの前は照史でした。(照史にしてはスタイル良すぎ)

 

そんな感じで毎日仕事楽しんでいます。

 

また売り場変えたら誰にしたか書こうっと。