推しと洋服と私。

オタクのひとりごと。

永遠なんてないけど。

仕事の休憩中、Twitterで推しの情報や、フォロワーさんのツイートをみるのがルーティン。

今日も同じようにTwitterを開くと、トレンドには想像もしなかった、思ったこともなかった、なんなら一番無縁だと思っていた2文字が推しのグループの名前と並んでいた。

たった4文字。

だけどその4文字だけで、なにを言わんとしているのか分かってしまって、急に怖くなった。

 

【V6解散】

 

いままで応援していた中で、そんな話が週刊誌や噂なんかで流れたこともあった。

だけど何故か、今回のトレンド入りは只事ではない気がして、でも見ないといけない気がしてすぐにその文字をタップした。

 

トップに出てきたのは週刊誌系の記事。

「またこういうネタね。」

って一瞬思ったけど、でも嫌な予感がしてさらにスクロールすると急に現実味を帯びてきた。

「え?本当に?」

もうこの時点で食べてるものの味なんてしないし、足は震えていた。

絶賛大喧嘩中の坂本担の母親にLINEを入れるが落ち着かない。

Twitterに書き殴るけど落ち着かない。

なんで?どうして?どういう経緯で?

その疑問しか思い浮かばず、早々に昼食を終え、店に戻った。

 

本人たちの言葉を見てしまったら、時が止まったみたいになって、現実を受け入れざるをえなくなった。

たくさん話し合ったこと。それぞれが一人の男として決断したこと。その決断は前向きなものであること。なにより、6人でなければV6ではないこと。

そんなことを言われてしまったら私たちファンはどうすることもできない。

だけど、その思い描く未来はV6ではできなかったことなのだろうか?

ライブがオリンピック周期になったっていい。

新曲も2年に1度でいい。

今以上なんてなにも望まないから、6人がV6で居続けることはできなかったのだろうか?

どうにかV6という名前を残すことはできなかったのだろうか?

そんなことを考えてしまう。

 

でも、剛くんが、誰かが抜けてしまったまま活動を続けるV6の方がもっと想像がつかなくて、きっとこれが6人の出した最善なんだろうことも容易に想像がつく。

6人じゃないなら、6人のV6を永遠にするためにいっそのことなくしてしまえ。

そんなメンヘラチックな思想すら感じてしまうこの決断が、こんな時まで私が好きになったV6そのものでめちゃくちゃに好きが増してしまった。

 

最近は個々の活動が多く、それぞれが舞台やドラマ、映画やバラエティなどで活躍していたが、必ずそこにはV6があった。

今年の11月2日になったら、それがなくなってしまう想像は未だにつかないし、今はまだ想像すらしたくない。

けどカウントダウンは始まってしまったのだ。

はっきり言うとどうやっても悔いは残る。

けど、その日はやってくるし、きっと撤回されることなんてないのだろう。

オタクの幻想って言われたらそれまでだが、6人のことを一番好きなのは6人だ。

メンバーがいたから乗り越えられてきたことも多かったはずだ。

その決断はきっと6人でいたいからこその決断だと私は思っている。

 

もう泣きながら書いてるからなにを言いたいのかわからなくなってきた。

まとめるとV6って最高だよねっていう話だ。

 

私自身の話をすると、V6のことを好きになったのは3歳の頃らしい。

まっっっっっったく覚えていないが、剛くんがテレビに映るとテレビに張り付いて離れなかったらしい。

当時絶賛ビジュいかつい期の森田剛にベタ惚れだった3歳の私、本当に見る目あるね。

25歳になった私も、いかついビジュだけど小ちゃい男が自担です。

その後も成長するにつれて記憶が濃くなっていくのだが、物心ついた時からどの年齢のときもV6は身近だった。

主に学校へ行こうだろう。

自分の学校にも未成年の主張はくると思っていたし、街を歩いていたらどこいくんですか?って声をかけられると思っていた。

将来はギャルになって剛健にはたかれるのが夢だった。

学校へ行けばリズム4や愛してるゲームをしていたし、ミヤケンコはいつだって可愛かった。

 

はっきり私がV6に落ちたのは忘れもしない11歳の夏だった。

嵐が好きな友達に付き合って木更津キャッツアイを見て、漠然とぶっさん好きだな〜なんて思っていた。今思えばぶっさんはマジで私の好みど真ん中だ。

そんなぶっさんが岡田准一だと知って、V6に興味を持ち始めた。

今だったらスマホSNSも発達しているから困ることはないが、当時の自分は使いすぎで制限をかけられてしまったケータイしか武器がなかったのだ(自業自得)

その当時YouTubeがまだ海外のサーバーというイメージだった頃。

家のPCで動画サイトに落ちていた画質の荒いDarlingのPVを見て、この人だ!と一目見てビビッときた。

人生初めての一目惚れだったと思う。(もともと気になってはいたが)

この後10数年、私は何度とこの感覚を味わうが、初めて味わったこのときの感覚は一生忘れられないと思う。

その後、おばあちゃんからもらったお小遣いを握りしめ、私はすぐに郵便局へ向かい、FCに入会。誰にも言わず、誰の許可も取らず、勝手に。

当時から思ったら即行動。我慢ができない性格だったのが容易に想像できる。

事後報告でFC入会を母に告げ、さらにライブに応募したことも告げた。

完全に怒られると思ったが、勝手に行動したことに対して少し注意を受けた程度で、拍子抜けしたことを覚えている。

そして2007年10月、初めて生で見た芸能人はV6だった。

母と入ることを条件に初めての現場。

白い衣装で光の中から登場した光景はいまでも鮮明に覚えている。

その後、母も実は坂本昌行がターザンの主題歌を担当した頃からずっと好きだったことが判明。母もFCに入会することになる。

 

そこからは母の激強名義が本領発揮し、応募した舞台やライブを落としたことがなかった。(なにより親の財力ってすごいよね。)

一番記憶に残っているのは意外なことに舞台で、中でもAll Shook Upは未だに再々演を熱望しているほど好きな舞台だ。

架空の親戚を危篤にして学校3日間休んで青山劇場に遠征したのはいまでも意味がわからない。おかん、ほんまにええんか?

ブラバにも遠征したし、2年後の再演ももちろん多ステした。

本当に大好きな舞台すぎるのでこれはぜひAぇ! groupの佐野晶哉に主演してもらいたい。なんなら私が主催する。

あと、いままで生きてきてこんなに泣いたことあるか?ってくらい泣いた舞台が『IZO』だ。

幕末の歴史好きも相まってめちゃくちゃに泣いた。DVDみても同じ熱量で泣けるの本当にすごいと思う。それから新感線には信頼感しかないので本当に文ちゃんの舞台はみたかった・・・・・・・

 

最後に生でV6をみたのは2017年のThe ONESコン。

この頃私はエイトにガッツリはまっていたし、母親の付き添い、くらいな気持ちで現場に入ったが、全くそんなこと忘れるくらいには興奮したのを覚えている。

本当にこんな歌って踊るおっさんいんのかよ。サイボーグ?

なんなら好きになった頃より色気がだだ漏れでしんどい。

かっこいいとかじゃ表せない複雑な気持ちになった。

職場の上司と不倫しちゃう新入社員の気持ちがわかる気がする。

おっさんってすごい色気放ってるよね。

20年経ってもこんな仲良くできるおっちゃんたちいないと思う。

年々岡田の博イジリは激しさを増してるし、博の仏に磨きがかかってる。

健ちゃんは若返ってると思うんだけど何の生き血吸ってんの?

イノ剛健はいつまで経っても悪ガキ。

まあくんは本当に50手前なの?ってくらいスタイルおばけ。

 

V6の好きなところは挙げたらキリがないけど、一番は仲のよさだと思う。

きっと生半可な気持ちのメンバーが一人でもいたらこんな長く続いてない。

本気で向き合ってきたからこその仲のよさだと思う。

お互いの個性ややりたいことを尊重しながら、お互いの距離感でやってきたからこその関係性なのだろう。

V6の活動スタイルがアベンジャーズって言われてて妙に納得した。

もちろん楽曲も、年齢なんて全く感じさせないダンスも好きだし、個性的な歌声が溶け合う歌も、クリエイティブな映像も、バラエティ力の高さも、坂本昌行の最年長だからアホみたいに怖がられてたのにここ数年になってめちゃくちゃにイジられるところも、長野博の本当に仏みたいな顔してたまにえぐい一言ぶつけるところも、井ノ原快彦のいつもちょけててお調子者なおっさんなのにいざというときに一番決めてくるのも、森田剛の強面と思わせておいて本当は笑い声が独特で6人でいるといっつも笑ってるところも、三宅健の天真爛漫な自由奔放な感じなのに、握手会で手話がわからなかったことをきっかけに学んでいまでは手話の番組に出演するまでになった努力家なところも、岡田准一のアカデミー俳優でゴリゴリなアクション俳優のイメージなのにメンバーの前では末っ子爆発させるところも、ライブで健ちゃんの投げチューが終わりの合図なのも、アンコールが「もう一回」コールで「森田?」って空耳するお決まりの流れも全部大好きだ。(ここまで一息)

 

最後にV6を見てからもう3年以上が経過してしまった。

私とV6は生まれ年が同じだからメモリアルな年には必ずV6も同じだけ年を重ねている。

コロナで会えなかった25周年という大事なメモリアルイヤー。

次は30周年か。いや、私30になんのやべえな。なんて呑気に思っていた。

もしかしたらもう会えなくなるなんて思っていなかった。

もっとしっかり追っておけば、なんて今更遅い。

これを書いてるいまだってなんで?本当に?って気持ちは消えない。

 

永遠なんてない。

 

これはエイトを追っていた私なら痛いほどわかっていたはずのこと。

形は違えどこういう事態は初めてではないはずなのに。

彼らに限ってそれは絶対にないと思い込んでいた。

そう思いたかったんだと思う。

だって彼らは永遠に一番近い存在だったから。

天国でもMFTP踊るんじゃねえのかよ。

でも永遠なんてやっぱりないんだよな。

そもそも6人が出会ってくれたことが奇跡だし、25年も一緒にいてくれたことが大きな奇跡。

私の初めての自担よ、中学3年で枚方から東京に出てきてくれてありがとう。

(今思えば私の自担、1人を除いて関西人でした。)

 

彼らに出会えたから出会えた人がたくさんいる。

V6を好きになってなかったらもしかするとジャニーズに出会うことはなかったかもしれない。

エイトにはまることもなかったはずだ。

エイトにはまってなかったら出会ってなかった大切な友達もいる。

その友達に出会えていなかったらWESTにはまることはなかったし、

WESTにはまってなかったら関西Jr.にはまることもなかったはずだ。

関西Jr.にはまっていなかったらSnow Manにハマることも、Aぇ! groupにハマることもなかっただろうし、なにより今のアカウントの大好きなフォロワーたちには出会ってない。

なにかの歯車が狂ってたら、いまの推しを好きになることもなかったかもしれない。

 

V6には感謝の気持ちと、大きな愛しかない。

しんどいときにはいつもジャニーズがそばにあった。

大げさかもしれないが、V6に出会ってなければ乗り越えられなかった壁もあった。

受験勉強を必死でがんばっていたときのお供はいつだってV6の曲だった。

恋をしたときも、恋が終わったときもV6を聞いて物思いに耽っていたし、

母親と喧嘩したときもつないでくれたのは大概V6の話題だった。(今がそう。)

 

永遠なんてないかもしれないけど、V6は確実に私の未来につながっていく。

だからその日がきても私はV6を好きで居続ける。